翌14日は和歌山駅からJR紀勢線に乗って箕島駅(有田市)に下車。
駅前からタクシーに乗って須佐神社経由で浄妙寺に下車して駅まで歩いて戻ることにする。
タクシーは有田川に沿って上流に走り、途中から南に向かう脇道に入る。
鄙びた村の一角に須佐神社は鎮座していた。写真は入り口の鳥居と石段。
創建は和銅8年(713)創建と伝わる古社であり、延喜式内社である。
古くから海上安全の神として信仰され、今は交通安全の神としても崇敬する人も多い。
地元では鎮座している地名をとって「千田神社」「お千田さん」と呼ばれている。
鳥居を入るとすぐ右手に儀式殿が建っていた。
石段を登って行くが結構長い。
途中、境内社が点在している。
写真は湊川社と南龍社。
石段を突き当たったところに眼にも鮮やかな白馬像が置かれていた。
後で知ったのだが白馬は吉宗の愛馬だったという。
また本居宣長の句碑が立っていた。
「いたけるの 神のしきます紀ノ國と いはふかぶろの神の宮これ」
さらに石段を登ると神門に当たる絵馬堂が建っている。
絵馬殿を抜けると左右に灯篭が並び、神馬舎、灯篭舎に続いて、写真手前右から神光谷社、厳島社、住吉社、稲荷社と並びその奥に白鹿像が見える。
突当りには神楽殿が建っていた。
参道の先の左手に拝殿があり、その入り口に鈴門(切妻造)が建っている。
鈴を鳴らす鈴緒部分が独立して門になっているのは極めて珍しい。
この日は祈祷が行われており、多くの人が拝殿内に詰めておられた。
写真は拝殿。
横から祝詞殿、本殿を望む。
祭神は須佐鳴戔尊。
本殿は一間社春日造で、吉宗の命により正徳元年(1711)に建てられた。
祝詞殿は桁行三間、梁間二間の入母屋造。
また例祭は喧嘩祭として知られている。