報恩寺の前に訪ねた寺町通りにある寺院を一つ追加します。
寺町通りに戻って、その北側にある護念寺を訪ねた。
淡い朱色が残る山門が迎えてくれる。ダウン
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西山浄土宗の寺院、山号は増上山。
永正5(1508)の創建。
念仏道場として栄えたという。
写真は本堂。前の石畳の紋様が美しい。ダウン
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観音堂には三十三観音を安置している。ダウン
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鐘楼の柱の彫刻は花の浮彫が施されており珍しい。ダウン
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報恩寺の門前から小路を北に行くと、左手に徳川吉宗誕生の地碑が立っていた。ダウン
吉宗は二代光貞の側室の子であり、光貞の四男としてここにあった御用屋敷で生れた。
二人の兄の相次ぐ死によって紀州五代藩主となり、ついには八代将軍になった。
その活躍については種々語り継がれており、テレビ「暴れん坊将軍」でも知られているので省略する。
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県庁前交差点に出たところに馬に乗った吉宗像が立っていた。ダウン
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左に和歌山城を、右に県立近代美術館を見ながら東に向かって歩いていると、右手の小高い丘に向かって九十九折の石段が続いている。
登って行くと岡山時鐘堂と奥山稲荷社があった。
岡山時鐘堂6m四方の二階建てであり正徳2(1712)に設置され、城下に時間を知らせていた。梵鐘は元禄年間の鋳造であり、豊臣方が使用した大砲を改鋳したものとのこと。ダウン
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奥山稲荷社は初代頼宣が紀州入りの際に、和歌山城の守護のため駿府より遷座した。ダウン
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気が付くと時間は17時半を過ぎており、また随分歩いたこともあり、どっと疲れも出て来たので、ここで打ち止めにしてタクシーでホテルに戻る。
余りの疲れのため、この日の夕食は近くの日本そば屋で済ませた。