一旦、権現前バス通りまで降りてすぐ右の財賀山の中腹に位置する紀伊東照宮を訪ねる。
写真は入り口の鳥居と参道。ダウン
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深い樹木の茂る参道をしばらく歩いて行くと、眼前に急に108段の石段が現れる。右下矢印
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その手前の右下の池に弁財天が祀られている。ダウン
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さらに左手の雑木林の中には稲荷社。ダウン
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この108段の旧石段を登ろうとしたが、あまりにも急石段でありどうしょうかと躊躇していると、後ろから見えた私よりかなり若い二人連れが脇道からの緩やかな参道に行かれたので、私も無理をせずに左手の脇道から登って行くことにする。
 
石段を登り切ったところに楼門が建っている。
三間一戸の入母屋造で国重文。
楼門は左右に回廊が繋がっておりそれぞれ桁行三間、梁間二間の切妻造でやはり国重文。ダウン
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元和7(1621)に紀州藩祖徳川頼宣によって創建建築され、天海大僧正が初代別当となった。
社殿は唐門、一体となっている拝殿・石の間・本殿瑞垣が囲んでおり、いずれも国重文。ダウン
左甚五郎の彫刻や狩野・土佐両派の絵画などが極彩色に飾り立てている。
そのため関西の日光とも呼ばれている。
またかっては社殿の左右に三重塔、薬師堂も建っていたという。
祭神は東照大神の徳川家康、南龍大神の徳川頼宣。
また毎年五月には神輿渡御祭が賑やかに町を挙げて挙行される。
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社務所にも葵の御紋が見える。ダウン
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帰りは108段の石段を用心しながら降りて行くことにした。
それでも手すりを持たないと真っ逆さまに下まで転げ落ちてしまうようで怖かった。
写真は石段の上から遠く和歌の浦を望む。ダウン
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