13日に新大阪駅から「特急くろしお」に乗って約一時間で和歌山駅に到着。
駅前のコインロッカーに荷物を預けて、バスに乗って和歌の浦に行く。
私はまだ30代前半の頃、泉佐野に三年間勤務していた。
しかし白浜、那智方面は何度か行ったことがあるが、どういう訳か和歌山を訪ねたことがなく、今回が初めてというウソのような話である。
                    
和歌山駅からのバスに乗って和歌の浦のバス停権現前で下車。
眼前に御手洗池が広がっており、公園として整備されている。
左手に御手洗池を眺めながら、まず和歌浦天満宮を訪ねる。
写真は御手洗池と右奥に建つのが天満宮。ダウン
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樹木に囲まれた参道を登って行くと、社殿の下にでた。ダウン
康保年間(964968)の創建であり、標高93mの天神山の中腹に位置する。
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途中から石段となる。石段はこの地独特の青石を敷き詰めている
大宰府天満宮、北野天満宮と共に日本三菅廟と言われている。
その上、昨日は日本で最古とされる奈良の天満宮を訪ねたのも何かの縁であろう。
朱色に輝く楼門は慶長10(1605)築の一間一戸入母屋造で国重文。ダウン
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写真は楼門から和歌の浦を見下ろしたもの。ダウン

菅原道真が大宰府に左遷される途中、波風が高いためこの地に留まられて次の二首を詠まれたとのこと。
「老を積む 身は浮き船に誘われて 遠ざかり行く和歌の浦波」
「身ざりつる 古しべまでも悔しきは 和歌吹上の浦の曙」
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写真は社殿。ダウン

紀伊藩主だった浅野幸長によって再建された入母屋造の檜皮葺屋根。
蟇股には動物や草花の彫刻。
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写真は本殿の前面。ダウン
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本殿は国重文。ダウン
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末社多賀神社本殿も国重文。ダウン
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さらに末社皇太神宮豊受大神宮の本殿も国重文。ダウン
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社殿の右手に稲荷社、白藤龍王社、白高大神、さらに白鳥神社なども祀られている。ダウン
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丁度お昼時となったので、回廊に腰かけて社殿を眺めながら、買っておいたパンと野菜ジュースで昼食とする
極めて気持ちの良い昼食であった。