奥の院から先は参拝客も少なくなり、眼下に京都の町並を見ながら山道を辿って泰産寺と子安塔を目指して歩く。
子安塔は小ぶりな塔で15mの高さであり、安産祈願で知られ国重文。左下矢印
イメージ 1
             
写真は塔頭泰産寺の本堂。ダウン
明治44年に現在地に移転してきた。
イメージ 2

 ここから本堂三重塔などを望む。ダウン

イメージ 3
 
戻って行く途中に音羽の瀧がある。
清水寺の開創の起源となる瀧であり、三筋に分かれて落ちている。
いつ来ても沢山の人が行列をして待っている。ダウン
イメージ 4
 
境内を戻って行く途中、本堂の石垣を見上げた写真。ダウン
イメージ 5
 
西門近くに池を配した日本庭園が設えてあった。ダウン
その奥には塔頭延命院がある。
イメージ 6
 
今回の冬の旅特別拝観の塔頭成就院を訪ねる。ダウン
日本庭園が魅力なので拝観したが、すべて撮影禁止のため、写真でご紹介できないのが残念。
イメージ 7
 
写真は本坊への北総門であり、元は塔頭成就院の山門であった。
一間潜戸付の薬医門で国重文。ダウン
イメージ 8
 
北総門を入るとすぐに三つの大きな弔詞石碑が並んでいる。ダウン
成就院24代住職月照上人とその弟で25代住職信海上人と西郷隆盛の弔詞碑である。
幕末に尊王攘夷の仲間として強く結ばれた三人だったが、幕府の追及によって月照上人は鹿児島で入水自殺、信海上人は牢獄死した。月照上人と一緒に入水した西郷隆盛は一命を取り止めて明治維新に向けて大活躍をした。NHK大河ドラマ「西郷どん」でこれからそのいきさつが出てくることであろう。
イメージ 9
 
池があり弁財天が祀られている。ダウン
イメージ 10
 
写真は千体石仏群。ダウン
町内にあった石仏がここに運ばれてきたものも多いという。
イメージ 11
 
写真は鎮守堂。ダウン
イメージ 12
 
清水寺を後にして「茶わん坂」を降りて行く。
途中古い商家である鮨処の柴崎があったが閉店したとの張り紙。ダウン
随分と趣のある建物である。
私にしては珍しく甘味処に立ち寄って、日本蕎麦で腹ごしらえをする。
イメージ 13