近鉄線のガードをくぐって、ようやく目指した千手寺に到着。
創建は役の行者と言われ、弘法大師が止宿したと伝わり、その後維喬親王(844~897)の乱で灰塵に帰したが、在原業平が再興したという、歴史上の名だたる人物が関わっている古寺である。
この地は京都から金峰山や葛城山に至る山伏修行の道筋に当たり修験者の行場であった。
立派な塀を廻らして山門が建つ。
山門を入ると本堂と護摩堂が並んで建っている。
写真右の本堂は光堂と呼ばれ、三間方形造。
千手寺(せんじゅうじ)は真言宗の大本山、恵日山光堂と呼ばれる。
本堂の左手のお堂は護摩堂でかっては開山堂であった。その前は在原業平の墓所であったと伝わる。
鎮守社は中興開山在原業平と菅原道真を祀る。
写真は鎮守社と庫裡。
本堂裏には弁天塚と呼ばれる6世紀後半の全長9mの横穴式円墳がある。
写真は古墳への入り口と社。
境内の隅に小さな役行者像。
庫裏横からは裏門に通じている。
こちらがメイン通りらしく石切駅に通じており、結構な人通りである。
この道を西に歩いて行くと四つ辻に石切大仏がある。
阿弥陀如来像で日本三番目とあるが何が三番なのであろう。
さらに西に向かい等覚院に立ち寄る。
真宗本派の寺院、山号は照月山。