ようやく目指す教信寺に到着する。
思っていたよりも駅からは遠かった。
塀を廻らした山門前からも由緒ある寺院の風格が漂う。
天台宗の寺院、山号は念仏山。
山門を入ると正面の本堂を中心にして、左右にお堂が立ち並んでいる。
平安時代初期の僧である沙弥教信が庵を構えた跡であり、承和3年(836)の創建とされる。
その後、清和天皇(850~880年)が伽藍を建てて観念寺とし、さらに崇徳天皇が大治元年(1126)に念仏山教信寺と改名された。
室町時代には堂宇13、僧坊48を数える大伽藍が建ち並んでいたが、天正6年(1578)に秀吉による三木城攻めの時にすぐ裏の野口城が攻略された際にすべて焼けてしまった。
元和年間(1615~1723年)に再興された。
本堂はもと書写山如意輪寺の念仏堂であり、応永5年(1398)築。
本尊の阿弥陀如来立像を安置。
左の開山堂には教信上人の頭部像を安置している。
本堂の右手には薬師堂が建っている。
明治25年再建で、旧開山堂。
さらに境内の西側奥に教信上人の廟所がある。
廟所の門も立派。
墓である石造五輪塔は花崗岩製の高さ2,08mあり県文化財。
その横に石棺の蓋が立っている。
古墳時代後期造とされる。
写真は境内の山王権現社。
奥には社務所が門を開く。
本堂の裏側に塔頭の法泉院、常住院、遍照院、不動院が並んでいる。
写真は塔頭常住院の山門。
羅漢庭園が広がっていた。
不動院は白壁を廻らし本堂前に蘇鉄が植えられていた。