お知らせ
パソコンのアウトルックが消えてしまってメールの送受信ができなくなってしまった。
本日、点検方々修理に出すので、様子によっては数日ブログはお休みするかもしれません。
なお長引くようであれば、5~8日に神戸の義母宅に出かける予定なので8日までお休みするかも。

西敬寺の先のある斜めの小路を西に向かって歩いて行くと、突当り右の高台に正受院の境内が広がる。
石柱門からは旧石段が伸びており、「白穏蹴落し坂」と呼ばれている。左下矢印
後に臨済宗中興の祖となる白穏が若き日の宝永5年に訪れた際に、その高慢さを住職正受が見抜いて白穏を蹴落としたとされる参道。
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坂道の参道を登ると鐘楼と茶室が建っている。
写真は鐘楼。右下矢印
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宗派は臨済宗妙心寺派の寺院、山号は小畝山。
すぐ左手に建っている茅葺本堂ダウン、周囲の樹木の緑と溶け合って風情満点。
道鏡恵端禅師(正受老人)が住んでいた禅庵である。
正受老人は松代藩初代藩主真田信之の子として飯山城中で誕生し、19歳で出家したあと諸国で修行を重ね、35歳から80歳までここで座禅三昧の人生を送った。
藩主等からたびたび招きを受けたが固辞し、多くの弟子を育てた高僧である。
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写真は本堂内。ダウン
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本堂前の水石も風情がある。
飯山城主が正受和尚に寺領と大寺建立を申し出た時に固辞し、その代わりとして拝領したという。 ダウン
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本堂からさらに坂道を登ると一段高いところに庫裡、座禅堂などが建っている。
写真は一段下に本堂と茅葺本堂の屋根、さらに鐘楼を望む。ダウン
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写真は庫裡。ダウン
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庫裏の前の池の佇まいも良い。ダウン
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その奥に座禅堂が建っている。ダウン
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