大英寺から大通りを南にあるいて行くと武家屋敷の名残りと思われる民家が点在している。
写真は原山家住宅の薬医門と中間部屋。ダウン
土塀は12m続いておりいずれも国登録。
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入り口はふつうの民家であるが、中に入るとこのような庭園がいくつか残されており、これもの武家屋敷の名残りであろうか。ダウン
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写真は長谷川五作宅。ダウン
昭和6年にエノキダケの人工栽培法を確立したとある。
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時間がかなり迫ってきたので焦りながらも早足で一番南にある乾徳寺に到着。
写真は山門。ダウン
真田家の一門真田勘解由家の菩提寺。
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正保2(1645)に照光寺として創建。
四代藩主真田信弘の菩提を弔うために元文元年(1736)に信弘の法名乾徳院から乾徳寺と改称した。
宗派は曹洞宗、山号は照光山。
写真は本堂。ダウン
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乾徳寺からは小川に沿った道を北に向かって戻って行く。ダウン
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途中、「象山開国之碑」が立っていたので入って行くと、ここが象山地下濠であった。
前から話には聞いていたが、こんなところにあるとは驚いた。
太平洋戦争末期、本土決戦に備えて大本営の移転と天皇護持のために、大本営と皇居その他をここに移転するする大工事が秘密裡に終戦の日まで掘り続けられた。
洞窟の総延長は10kmに及び、9ケ月間日夜を分かたず多くの労働者によって掘り続けられた。
現在はそのうち500mのみ公開されている。
時間がないが、興味もあるのでヘルメットを借りて暗く長く続く濠を歩いてゆくがどこまでも続いている。ダウン
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78分ばかり進むが同じ洞窟が延々と続くので、帰りの時間が気になり途中で引き返してきた。ダウン
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