高福寺の隣にやはり白塀を廻らして長円寺の境内。
写真は山門。ダウン
幕末の鳥羽伏見の戦いでの幕府軍の負傷者・戦死者はここに運ばれ、幕府軍の野戦病院となった。
その際にお世話になったということで、明治40年に榎本武揚書の幕府軍戦死者供養塔が建立された。


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浄土宗の寺院、山号は寿台山。
写真は本堂。ダウン
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また鳥羽伏見の戦いでこの寺が戦場にならなかったのは閻魔様が祀られていたという説もある。
写真は閻魔堂の閻魔像。ダウン
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写真は観音堂。ダウン
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三つの寺が並ぶ一番奥に、東運寺が門を開いている。ダウン
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曹洞宗の寺院。
治承3(1179)に石清水八幡に仕えていた河原崎忠俊が薬師を祀るお堂を建てたのがはじまり。
また言い伝えとして、頼朝に追われた義経をこの寺に匿ったことから忠俊は打ち首になりそうになったが、あわやという時その太刀に鳩が二羽止まった。
この鳩が八幡神の使いであるとしてその罪を許された。
忠俊は東(鎌倉)の運に助かったということで東運寺と名付けたという。
写真は本堂。ダウン
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写真は薬師堂。ダウン
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