神戸の義母宅を一日早く出て、一人で京都に向かう。
八幡市の正法寺の特別拝観に行くのが第一の目的である。
京都駅で荷物を預けて、近鉄と京阪電車を乗り継いで淀駅で途中下車
この日は競馬開催日と重なっており、淀競馬場は場外馬券を買う人で賑わっていた。
私もまだ若く堺支社勤務の時は、先輩の影響もあり随分と競馬に熱中したが、いつの間にかすっかり遠ざかってしまった。
写真は淀駅プラットホームから淀競馬場を望む。ダウン
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まず淀城址公園を訪ねることに。
入り口に与杼(よど)神社の境内が広がる。
古くは淀姫社、又は水垂社と呼ばれた。
応和年間(961964)に肥前国の与止日女大神を勧請して創建され、式内社でもある。
写真は入り口の鳥居。ダウン
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写真手前の拝殿は慶長12(1607)築で国重文。ダウン
桁行二間、梁間二間の入母屋造の杮葺屋根。
写真奥の本殿は昭和55年再建された三間社流造。
祭神は豊玉姫命、高皇産霊神、速秋津姫命。
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また境内に三つ社が並んで祀られ、左に川上社、真ん中が豊丸社、右には長姫社が祀られている。ダウン
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淀城と言えば茶々の淀君の居城だと考えていたが、ここ淀城址公園は江戸時代の城であり、秀吉が茶々のために建てた城は「淀古城」と呼ばれ、ここより500m北側の納所地区にあったことを初めて知った。
 
この淀城は元和9年(1623)に二代将軍徳川秀忠によって築城された。
その後享保8(1723)に春日局の子孫稲葉正知が102000石で城主となり、明治維新まで12148年間その子孫が城主であった。
写真は淀城址の石垣。ダウン
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また城址には熊野大神宮・日吉大明神が祀られていた。ダウン
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その傍にある稲葉社は稲葉氏の祖である正成を祀る。ダウン
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唐人雁木跡の碑が立っていた。ダウン
江戸時代、朝鮮から派遣されていた朝鮮通信使は大阪から淀川を登ってここに上陸して京都に入り、東海道を江戸に向かった。
その上陸地点に雁木と呼ばれる桟橋が設けられていたという。
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