城沼の西端に近づいた頃、右手の小高い丘の上に朱色の神社らしい建物が見えたので近づくと尾曳稲荷神社であった。
写真は入り口の参道だが、すぐ右側に広い参道が続いているので、ここは旧参道であろうか。
天文元年(1532)に館林城主赤井照光が城の鬼門除けとして創基。
その後歴代城主から崇敬され、天正18年に榊原康政が社殿を寄進した。
祭神は倉稲魂命。
拝殿は入母屋造で桁行四間。
本殿は一間社流造。
境内の本殿裏側から石段を降りてゆくと弁財天が祀られていた。
境内にある田山花袋歌碑。
「田とすかれ畑と打たれてよしきりも すまずなりたる 沼ぞかなしき」 花袋
城沼最西端の大きな交差点のところに旧上毛モスリン事務所の建物(現在は第二資料館)と田山花袋旧家が保存されている。
旧上毛モスリン事務所は明治43年築の左右対称シンメトリーの擬洋風建築。
上毛モスリン(株)は機織業の会社として明治35年に設立された。
最盛期には2000人が働いていたという。
田山花袋旧宅は花袋が7歳から14歳までの8年間ここで過ごしたという。
前に花袋の胸像が立っている。