館林市は躑躅(つつじ)の名所であり、また茂林寺があることで知られているが、茂林寺には一度訪ねたことがある。
今回、善導寺を訪ねてみたいと思い立って、いろいろ調べると館林は「歴史の道」として史跡なども整備されているようなので半日かけて歩いて来た。
新宿湘南ラインで真っすぐ久喜駅に。東武伊勢崎線に乗り換えて館林駅に到着。
駅頭に降り立ってまず、名物の館林うどんを食べてからと思い、駅前の「花山うどん」に行くが日曜日にも拘わらず食堂はお休みであった。
次善の策としてバスに乗ってまず善導寺近くに行こうとするがバスの時間まで40分ばかりある。
それではと少し駅周辺の「歴史の道」の史跡を訪ねることにした。
写真は館林駅舎。ダウン
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ままず駅前広場の正面にある「龍の井」に。ダウン
広い敷地にポツンと井戸と覆屋があり、横に取り残されたような庭園と灯篭が立っていた。
元はここに善導寺があった跡だと知ってびっくりする。
善導寺は榊原康政が館林城主として入城と共にこの地に移転してきた。
この移転を前にして寺が住民に説明していた時、城沼に住む龍神の妻が姿を変えて聞いており、これ以降井戸に入って寺を守りたいと言って井戸の中に姿を消したという伝説が残る。お蔭でそれ以降、お寺は火災に遭わなかったという。
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続いて大道寺を訪ねる。
塀を廻らしたかなり広い境内の入り口からは、適当な荒れ寺風の雰囲気がある。
写真は山門前。ダウン
田山花袋の算術の師である戸泉鋼作ゆかりの寺とあるが花袋と算術との関係がどうも合点がゆき難い。
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境内には墓地が広がり、中央に本堂が建っていた。ダウン
浄土宗の寺院。
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本堂の真ん前に生田萬父祖の墓がある。ダウン
生田萬は館林藩の藩士の子で平田篤胤の門下生となり、藩政改革の意見書を出して藩を追われて越後柏崎に移り住んだ。天保大飢饉の折に領民と共に乱を起こしたが自刃したという。
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