健田通りに出て西に歩いていると健田須賀神社の鳥居前に出た。
健田神社は延喜式内社でもある古社であり、明治3年に須賀神社と合祀した。
結城城の鬼門に当たり鎮守として、また結城家の氏神として崇敬されてきた。
祭神は武渟川別命(健田神社)、須佐之男命(須賀神社)。
写真は社殿。
写真は境内の十二社。
七代結城直朝が関城攻略のため北斗七星に願をかけて、牛頭天王(現健田神社)、住吉大明神、大桑大明神高﨑大明神、八幡宮、大神宮、鷺宮大明神の結城七社を祀った。これに香取、松尾、羽黒・三峯、白峯、足尾を加えて十二社を祀っている。
月ごとに十二か月参詣すると霊験ありとされる。
さらに西に歩いて行くと「武勇」蔵元が建っていた。
江戸末期築であり、今も「武勇」は結城の銘酒として知られている。
その隣に広い境内を持つのは称名寺である。
狭い小路を入った先に山門がある。
二条門と言われ、寛永3年築の高麗門。
山門横の駐車場から境内に入るとさらに御霊門が建っている。
慶長年間築の藥医門。
写真は本堂。
結城家初代朝光が親鸞から授かった法名「称名寺殿日阿」から寺名になった古刹である。
真宗本派の寺院、山号は新居山。
境内の一角に結城朝光の墓(写真左奥)がある。
質素な造りの石造多宝塔であり、結城四代分の供養塔でもある。