農家らしい住宅地の中を北に向かって歩き、左折するとまもなく右に松月院と結城家墓所の案内板が立っていた。
松月院は乗国寺の塔頭であり、結城17代晴朝が開基。
曹洞宗の寺院、山号は窪田山。
塀など何もない境内に、本堂と庫裡が建っているのみ。ダウン
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松月院から少し離れた灌木の中に結城家墓所がひっそりとあった。
今は五輪塔が並ぶのみであるが、元は慈眼院(乗国寺の塔頭)があった場所である。
慈眼院は1553年に16代結城政勝が出家して僧になり曹洞宗寺院として創建した。
跡地には唯一、傍に八尺堂観音がひっそりと建つのみであった。ダウン
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結城氏初代朝光から16代政勝までの16基と名不詳の4基、計20基の五輪塔が並ぶ。ダウン
周囲に堀、土塁を築き、塚全体に玉石を並べていたというが、今ではほとんど痕跡を残さない。
結城市は結城一族が深く根付いている町であり、結城氏の歴史を知らないと語れない。
結城氏は平安時代から戦国末期にかけて下総で活躍し治めた一族である。
藤原秀郷の末裔の小山(結城)朝光は頼朝挙兵に従い、鎌倉初期に下総結城に所領を得たのが始まりである。
その後18代秀康(家康の次男で養子に入った)1601年に越前67万石で国替えになるまで、430年この地を治めていた。
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松月院前の道を南に歩くと田圃の中に大勝寺の境内がある。
質素な山門。ダウン
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写真は本堂。ダウン
曹洞宗の寺院、山号は龍谷山。
17代結城春朝が開基。
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さらに道を左右に辿りながら愛宕神社前に出た。ダウン
市内に5つある愛宕神社の一つ。
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