年末ご挨拶
今日は大晦日です。
英国のEU離脱、トランプ旋風に振り回された激動の今年も終わろうとしています。来年はどんな年になるのでしょう。
私事ですが、来年は喜寿を迎えます。
60歳半ばに胃ガン、大腸がん、胆嚢摘出手術を三年連続し、さらに5年後に再び胃ガンの手術をしましたが、その後の経過は順調であり、今年はまるで大病をしたことを忘れたかのように元気な一年でした。
来年も健康に留意しながら元気に寺社巡りと街歩きを楽しみたいと思っております。
ブログは正月三日間はお休みとして、4日からスタートします。
来年、皆様にとりまして幸せで豊かな良い年でありますよう心より祈念しております。

                                                                                                                                                       

次に訪ねたのは本陣染野家住宅である。
以前テレビ番組で見たことがあり、是非訪ねてみたいと思っていたが今回念願が叶った次第。
17世紀に水戸街道が整備されると取手宿は、利根川の渡し船場に隣接する宿場として発展してきた。
染野家は取手宿の名主であり1687年に水戸徳川家の本陣の命を受けた。
その本陣を務めた染野家の住宅跡である。
表門は一間薬医門。ダウン
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正面に建つ母屋は寄棟造で茅葺、玄関の上部は重厚な入母屋破風を設けている。ダウン
この日は閉館日のため内部の見学はできなかった。
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母屋横からの坂道を登って行くと灌木の中に徳川斉昭の歌碑が立っていた。右下矢印
1840年正月に水戸に帰る途中、水戸藩主だった徳川斉昭が利根川を渡る舟の中で歌を詠み、染野家で休憩している時にその歌を袋戸に貼って出発したという。その歌を歌碑として残したものである。
「指で行 さほのとりての渡し舟 おもうかたへは とくつきにけり」
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11号線をさらに歩くと四つ角に八坂神社の境内があった。
入り口の鳥居1707年造。
鳥居の両側に溶岩の上に乗った狛犬があるが、良くみると親獅子がと子獅子がかなり上下に離れており、「獅子は我が子を谷に突き落とす」の諺を表している。右下矢印
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拝殿は1832年築で、彫刻も精巧そのものである。ダウン
1626年の創建、祭神は素盞鳴尊。
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本殿は一間社流造で明治39年造。ダウン
本殿の周りには網が廻らされているため、その下の隙間からかろうじて撮ったもの。
また末社がたくさん点在しており、すべて説明版が立っていた。
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さらに八坂神社の横の道を南下して利根川畔に出てみた。
小堀の渡し跡」との標識を見たからであるが、この日は体育の日ということで河川敷が大変な人出で賑わっていた。
仕方なく遠くから私の桟橋跡を望遠で写したが、対岸が小堀である。左下矢印
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八坂神社の前から219号線の急坂道を登って行くと交差点のところに香取神社がある。
境内はほとんど幼稚園になっていた。
社殿は小ぶりながら、随分と彩色豊かな造りであり、平成18年に再建されたばかり。ダウン
1647年に勧請。
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香取神社の真ん前の空き地に不動堂(手前)と弘法大師堂()が並んで建っていた。廃寺跡にお堂のみ残ったのであろうか。  ダウン
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坂道を下って取手駅にと向かう。