少し前になるが1019日に一泊二日で信州上田市周辺の旅をしてきた。
上田・別所温泉には今回で四回目であるが、今回は千葉に勤務していた時代に集った異業種の会OB会の仲間との旅である。
この会が発足してから20年になるが、当時のメンバーだけのOB会として、いまだに年二回の会合が続いている。
かっては会員20名を越えていたが、年齢的にも死亡や病気、地方に転居などで現在の会員は10名足らずであり、今回の旅は久しぶりでもあり6名の参加。
各自がキップを手配して新幹線に乗り、上田駅での集合。
駅前の真新しいホテルルートイングランド上田駅前に荷物を預けてまず昼食。
蕎麦で名高い「刀屋」に向かうが、予想通りの混雑で既に15名ばかり外に並んで待っている。ダウン
待ったかいがあって見事な盛りと実に素朴な蕎麦の美味しさに全員大満足。
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予約しておいたジャンボタクシーに乗ってこの日は海野宿、雷電生家、布引観音を廻って小諸駅で下車。
懐古園を散策して「しなの鉄道」に乗って上田駅に戻るというスケジュールである。
 
上田市の隣町の東御市にある北国街道海野宿は三年前にゆっくり訪ねているので、今回は全くの案内役である。
全国に残っている宿場町も多く訪ねたが、ここ海野宿と亀山の関宿が私のお気に入りである。
ここを本拠地とした海野氏は、真田家の出身地でもある。
江戸時代には650mにわたり95棟の家並みが続いていたが、現在は55棟の家並みと本陣、脇本陣、問屋、旅籠などの跡が残っており、また明治時代になって養蚕業に用いられた伝統的建造物も残る。
他の宿場町と異なるのは街道の真ん中近くに用水が流れていることであり、これが一段と風情を感じさせてくれる。ダウン
海野宿資料館に入る。
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「うだつ」が並んでいる風景。ダウン
富裕の家のみが造れたので「うだつがあがらぬ」という言葉が生まれ、また防火壁の役目も果たした。
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海野宿の入り口にある白鳥神社は海野氏・真田氏の氏神として祀られた。
見事な大木が数本立っていた。ダウン
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続いて雷電生家に。
力士雷電の強さ、怪力ぶりは伝説になっており相撲界の最大のヒーローである。
遠く浅間山を望む田畑の中の集落に生家が建っていた。ダウン
もとは雷電が両親のために建てたが、老朽化のために昭和59年に復元したという。
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写真は生家内部。ダウン
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土間に土俵が造られていたが、最近造られたものであろう。ダウン
また、急ぎ走り回って雷電の墓を探すが判らず諦めてタクシーに戻る。
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