お知らせ
明日から31日まで神戸の義母宅に出かけてきますのでブログはお休みします。
29日で義母は100歳を迎えますのでそのお祝いを兼ねてのことです。
もっとも私は名古屋に途中下車して寺社巡りをしてから神戸に入る予定ですが。
 
 
古河歴史博物館は平成2年の開館。ダウン
周囲は古河城の出城である諏訪曲輪跡に建てられ、周囲の樹木と堀とで歴史と伝統を感じさせてくれる雰囲気がある。
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堀跡は整備されて近代的な遊歩道になっている。ダウン
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その真ん前に鷹見泉石記念館がある。
古河藩が藩士のために用意した武家屋敷で、いわば役員用社宅といったところか。
隠居後は蘭学にいそしんだ鷹見泉石が最晩年を送ったという居宅を公開している。
写真は記念館の外廻り全体。ダウン
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建物は寛永10(1633)に古河城主土井利勝が三階櫓を造った時の残り材を使って建てたとされる。ダウン
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写真は玄関に飾られた五月人形。ダウン
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地続きに明治時代の南画家であり古河出身の奥原晴湖画室「繍水草堂」が移築再現されていた。ダウン
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記念館の向かい側には、高い生垣でぐるりと囲ったお屋敷。ダウン
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程近くに長谷観音があるというので立ち寄ってみた。ダウン
正式には明観山長谷寺であり、真言宗豊山派の寺院。
1493年の創建で、初代古河公方の足利成氏が古河城の鬼門除けとして勧請した。
一時は廃寺となったが大正3年に再興された。
十一面観音は高さ2m余りで日本三大観音の一つと言われるが。一本の楠から大和、鎌倉、古河の観音像を彫ったとの口伝による。
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時計を見るとかなり予定時間も過ぎており、歩数も22000歩と脚も上がらなくなっているので、ここで切り上げて駅にと戻って行く。
あとさらに南に位置する古河公方公園(古河総合公園)を残してしまったが、またの機会に訪ねることにして古河(こが)を後にする。
なお古河市は「こがし」と読み、「ふるかわし」ではない。