連休の2日、思い切って古河(こが)の寺社巡りに出かけてきた。
古河市を訪ねるのは初めてである。
古河市は茨城県の最西端に突き出すように位置しており、東北本線古河駅の一つ手前は埼玉県の栗橋駅、一つ先は栃木県の野木駅であり、実に複雑な地形の場所である。
 
古河は古代から渡良瀬川の渡り場として交通の要所でもあったという。
また古河城は平安時代末期に下河辺氏によって築城された。
そして室町時代、当初は鎌倉にあった関東公方を、1455年に足利成氏が室町幕府と対抗して下総古河に移して古河公方として知れるようになり、五代130年に亘って大いに発展した。
また江戸時代には譜代大名11がめまぐるしく交替したが大老2名、老中5名を輩出したというから驚きである。
今回古河を訪ねてみて、その歴史の重みがあちこちに残っており、寺社を極めて大事にした町割りにも感心した。その分、独特の町の風景や気位の高さを今に残している。
また何故か料亭が多く点在しているのも驚きであった。
 
西口に降り立ったのが11時であり、市内の寺社を効率よく巡りながら途中で昼食を取ることにしてスタート。
駅前の小広場に万葉歌碑が立っていた。ダウン
万葉集の巻14に東歌として238首が収録されすべて作者不詳であるが、その中に相聞歌として古河(許我)の地名を含んだ歌が二首ある。
「まくからの 許我の渡りのからかじの 音高しもな 寝なへ児ゆえに」
「逢わずして 行かば惜しけむまくらがの 許我こぐ船に 君も逢はぬかも」
内容から見て古河は古くから渡良瀬川などの河川や沼の交通路として、その河川交通の要所として発展してきたとの説明文があった。
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その先の小路を左折すると駅近くとは思えない住宅地で、大聖院の樹木は見えるのだが、なかなか入り口が判らず境内を半周して南側の山門に到着。
駅のすぐ近くにありながら広く閑静な山門前と境内にびっくりする。
写真は山門と白塀を廻らした境内。ダウン
曹洞宗の寺院、山号は玉龍山。
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境内に入るとすぐ右手に不動堂が建っている。ダウン
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写真は不動堂内部。ダウン
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山門前の左手には山王宮が祀られている。ダウン
弁財天の幟がはためいていた。
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山門を入り広い境内の中央に建つ本堂は明治42年築。ダウン
1523年に古河公方だった足利政氏が永昌寺として開基したのが始まり。
その後1573年に北条義氏が義兄北条氏康の菩提のために大聖院として再建した。
大聖院は北条氏康の院号である。
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境内のケヤキは樹齢300年、樹高26mあり、他にも大木が多い。左下矢印
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写真は鐘楼。右下矢印
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写真は客殿。ダウン
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