閑話休題
四泊五日の、徳島県の霊場と寺社巡りの旅から、昨晩ようやく帰ってきました。昼夜兼行で頑張りましたのでいささか疲れ果てました。
四国霊場1番から23番までと、丈六寺、箸蔵寺とほぼ予定通り廻ることができました。
詳しくは二日後位からブログに掲載できたらと思います。

この辺りは田圃ばかりで何も目印がなく、また畦道が自在に通じているので道が判らなくなった。
たまたま車の中で休憩されている老人に出会ったので、鏡忍寺への道を尋ねる。
 
写真は鏡忍寺(きょうにんじ)の総門前。ダウン
小松原法難の地との石碑が立っている。
1264年、日蓮は信者であった天津城主工藤吉隆に説法に出かけた帰りに地頭東条景信の一団に襲われた時、日蓮を守ろうとして討死した弟子の鏡忍坊と工藤吉隆の菩提を弔うため1281年に建立させたという由緒を持つ寺である。
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総門もなかなか凝った造りである。ダウン
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写真は仁王門。ダウン
三間一戸で二階に十界曼荼羅を祀っている。
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祖師堂はまだ新しく平成19年に再建なったばかり。ダウン
欄間彫刻は旧祖師堂の「波の伊八」作とか。
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祖師堂の真ん前に法難堂。ダウン
鏡忍坊が亡くなった場所に墓標として松を植えたが、明治35年に台風で倒れてしまった。
その木で聖人の像を刻んでお堂を建てたとのこと。
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その真ん前に三尊の墓。ダウン
日蓮、鏡忍坊、日玉上人の墓が並ぶ。
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その横に降神松が枝を拡げている。ダウン
日蓮の小松原法難の時、路傍の樹木の上に鬼子母神が現れ難を逃れたという。
槇は樹齢10001300年とのこと。
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少し高台に鐘楼と三十番神堂(昭和初期築)が建っている。ダウン
この日は参拝客が一人も無くゆったりと廻ることができた。
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祖師堂から鬼子母神堂、清正公堂、仏殿、庫裡にと回廊が続いている。左下矢印
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写真の鬼子母神堂は江戸時代初期築。ダウン
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写真は清正公堂。ダウン
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写真は本堂に当たる仏殿ダウン
江戸時代末期から明治初期の築。
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最後に庫裡への通用門として向唐門が建っているところに出た。
切妻茅葺で朱雀門とも呼ばれる。ダウン
江戸時代初期から中期築。
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