大光院山門から境内に沿って西に歩いて行くと浄土宗教受院がある。
誠に質素な境内に本堂が建つのみであり詳細不明。ダウン
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さらに大光院から北に向かって金山城址にと続く緩やかな坂道を500mほど登って行くと金龍寺に至る。
金山城主であった横瀬・由良氏の菩提寺である。
ここにも広い駐車場があり沢山の車が止まっていたが、境内には人影が全くなかったのが不思議である。
写真は境内入り口、左が広い駐車場。ダウン
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石段を登ると山寺風の本堂と庭園が広がる。ダウン
曹洞宗の寺院、山号は太田山。
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写真は本堂内部。ダウン
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さらに本堂左手からの坂道を登って行くと金山城主横瀬・由良氏の墓9と共に、新田義貞の供養塔が立っていた。
新田義貞の三男義宗の子である横瀬貞氏(金山城主)1417年に祖父義定の遺骨をこの地に移して廟所と定めた。
しかしその後1590年に横瀬国繁は茨城県牛久に転封となり荒廃の一途を辿ったが、館林城主榊原康政が再興して現在に至るという。
現在の新田義貞の供養塔は1637年に300忌法要に際して造立されたもの。
写真中央奥の五輪塔が新田義貞供養塔、前に並ぶ9基が横瀬・由良氏一族の五輪塔。右下矢印
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写真は境内の豊川稲荷社。ダウン
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