春日神社を出て真っ直ぐな大通りを北に歩いていると奇妙な建造物が眼に入る。
鉄筋の鳥居の形のようであり、ここから随分と北にある大光院参道入り口だったのであろう。ダウン
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ようやく着いた大光院は、見事な松林の金山南麓に、広く境内を持っている。
山門は吉祥門と呼ばれ、切妻造で軒丸瓦には三葉葵紋が見える。ダウン
1615年に中門として建立され、上棟した日がちょうど大阪城落城の日であったため吉祥門とされた由。
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吉祥門を入った正面に本堂ダウン
間口13間、奥行11間の堂々たる建物で慶長18(1613)築、大正14年に大改築された。
浄土宗の寺院、山号は義重山。
浄土宗関東十八檀林の一つとして寺領300石を与えられ栄えた。
中央須弥壇に快慶作の阿弥陀仏、脇壇に新田義重、徳川家康、秀忠、家光、歴代上人の木像が並ぶ。
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その前に、上人お手植えと伝わる黒松の臥龍松が横たわる。
写真の右は本堂、左は開山堂。ダウン
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大光院は「子育て呑龍様」の名前で親しまれている。
呑龍上人は、慶長18(1613)に家康がその祖とした新田義重公追善のため当山を建立した時に、開山上人となり11年間人々の教化に努められた。
また当時流行していた堕胎、捨子を制止され、困窮子女を弟子という名目で養育されたという。
本堂の左手に建つ鉄筋開山堂13間四方という大きな建物で昭和8年築。左下矢印
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手水場の精巧な彫り物も眼を惹く。ダウン
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また本堂と開山堂を繋ぐ回廊の奥に弁財天堂が祀られている。ダウン
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さらに樹木の間の道を少し登ると呑龍上人の墓がある。
写真の中央。ダウン
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その横に徳川家康が祖としてきた新田義重(源義家の孫、新田氏祖)の墓がある。ダウン
そういえば以前、太田市の世良田を訪ねた時に新田氏館跡や徳川家館跡などがあった。
大光院は山号が義重山、寺号は新田寺であり家康の思い入れが大層感じられる。
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境内は広くさらに山に向かって遊歩道が続き、駐車場も広くさらに公園まで備えている。
写真はやはり境内の古く大きな建物。ダウン
庫裡なのであろうか。
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