ようやく箕輪城址に到着する。
日本100名城の一つに選ばれているが、今は僅かに土塁、石垣、門跡の一部などにその面影を残しているのみである。
1512年に長野業尚によって築城された。
榛名山の東南麓に広がる独立丘陵であり、榛名白川によって削られた河岸段丘に梯郭式に曲輪が築かれた平山城。
東西500m南北1100mの縦長で総面積は36haというかなり大規模な城郭であり、うち19ha国指定史跡となっている。
標高が最も高いのは北に位置する280mの霊置山から御前曲輪、本丸、二の丸、郭馬出などが尾根状に並ぶ。
写真は大手門側から撮った城址のある丘陵。ダウン
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写真は二ノ丸と本丸を分ける本丸南堀。ダウン
本丸を巡る幅3040m、深さ10mの空堀。
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写は本丸跡。ダウン
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写真は大堀切。ダウン
大堀切によって城は南北二つに区切られ中央を土塁が連絡している。
一方を失っても片方だけで戦闘が続けられるこうした仕組みを「一城別郭の城」という。
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写真は三ノ丸石垣の一部。ダウン
当時は4,1mあったといい、城内では一番高いところ。
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写真は鍛冶曲輪の石垣。ダウン
鍛冶場のあったところで、ここで武具などを製作、修理していた。
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箕輪城主の長野氏が武田勢によって滅ぼされると、武田家家臣が、さらに滝川一正、北条氏が城主となり、最後の城主は井伊直政。
その井伊直政が前橋城に城を移したために、1598年に廃城となった。