前橋女子高の裏門辺りから北に歩くと龍海院の門前に出た。
龍海院は今回の寺社巡りのメインであるが、門前の参道からも大寺の風格が感じられる。ダウン
寺域は33000㎡とかなり広い。
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重層山門は文政年間(18181830)築。ダウン
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享保3(1530)に家康の祖父清康が「是」の字を左手に握る夢を見て、岡崎市内に創建された。
なお「是」は日・下・人の字から成り天下人になる縁起の良い文字。
山門に架かる扁額もその故事により「是字寺(ぜおじでら)」とあり、九代藩主忠恭の書とのこと。ダウン
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その建立に当たっては酒井氏が外護者となり以後酒井家の菩提寺となった。

酒井氏の転封に伴って川越、さらに慶長6(1601)33000石で前橋に移ってきた。
曹洞宗の寺院、山号は大珠山。
本堂も文政年間(181829)築の堂々たる建物。ダウン
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写真は本堂向拝の精巧な彫刻。ダウン
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写真はすっきりとした境内。ダウン
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写真は鐘楼ダウン
枯山水風な庭園が設えられており見応え十分。
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境内の墓地の一番奥に酒井家の広い墓所がある。ダウン
初代重忠から九代忠恭まで150年間前橋藩主であり、1749年に姫路に15万石で転封になってから15代まで続いたが、代々この墓地を菩提寺としてきた。
ゆったりとした造りの墓が15も並び、手入れも良い。
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初代酒井重忠夫妻の墓ダウン
重忠は家康に仕え1601年に前橋城33000石の初代藩主となり酒井家繁栄の基礎を作った。
ほかの墓に比べて質素であり、すこし離れた場所にある。
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二代忠世の墓ダウン
重忠の長男で、家光に仕え老中として徳川幕府の基礎を築いたことで知られる。
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本堂裏の墓地の一角に弥彦神社と白山妙理大権現が祀られていた。ダウン
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