今度は東に向かって歩いていると堀と桜並木が眼に入ってきた。左下矢印
高崎城址であり、現在は堀のみが残り城址は官庁街となり、さらに公園として市民の憩いの場となっている。
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この辺りは三ノ丸外周の土居と堀との立て看板がある。ダウン
箕輪城主の井伊直政が1598年に当地に高崎城を築城した。
坪数51613坪という広大な城であったという。
西側の鳥川を天然の外堀とし、東、南、北側に三重の堀を持った輪郭梯郭複合式の平城であった。
その名残りは今でも随分と長く続く堀から想像できる。
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堀に沿った公園を北に歩いていると東門乾櫓に出た。ダウン
高崎城の北西に当たる乾の角にあった。
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二層の本瓦入母屋造で梁間二間、桁行三間であり、昭和54年に移築復元された。
写真は乾櫓。ダウン
なおこの高崎は江戸時代には城下町として、また宿場町として絹や綿の集散地として栄えてきた。
さらに三国街道と中山道の分岐点として交通の要衝でもあり、軍事上も極めて重要な位置にあった。
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城址公園の一角に聳える近代的な建物は市役所である。
随分と立派な市役所を建てたものである。ダウン
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写真は残っいる石垣。ダウン
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