続いて訪ねた頼政神社は龍広寺の墓地の裏側に位置しているが、大通りから石段が伸びており境内に至る。ダウン
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1698年に藩主松平輝貞が祖先の源頼政を祀って建立した。
1717年に現在地に移転。
写真は鳥居と拝殿。ダウン
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頼政は1180年に自刃したが、その526日に祭礼が賑やかに行われるという。
写真は朱色の装飾を施した本殿。ダウン
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境内に内村鑑三記念碑が立っていた。ダウン
鑑三は江戸小石川の高崎藩中屋敷の武家長屋で生まれ、幼少の頃高崎に移り住み高崎藩主が創設した英学校で学んだ。
1961年に生誕100周年を記念して立てられた。
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また境内からは鳥川が一望できる景勝地でもある。ダウン
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頼政神社の裏手には高崎公園が広がり、丁度桜が満開であり大勢の人達で賑わっていた。
ここからほど近くにある光明寺を訪ねる。
なかなか判りにくく小路を曲がりくねった先に狭い境内。
高野山真言宗の寺院、山号は日宮山。
1385年に創建され、1604年頃城主酒井家次が再建した。
写真は昭和7年再建の本堂。ダウン
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狭い境内の本堂左手に愛染堂(平成7年築)ダウン
古墳上に建っており元は護摩堂だが、愛染明王を安置しているので愛染堂と呼ばれるようになったという。
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