安房国分寺跡に建つ国分寺周辺の民家にはマキの木の生垣が続く。
館山独特の生垣であり防火・防風のためだとのこと。
そういえば昨夜の強風の凄かったこと、もう少しで吹き飛ばされそうになった。
聞くと四日間吹いているとのことで、館山は昔から強風で知られているという。
国分寺の参道両側もマキの生垣が続く。
山門は昭和34年築。
国分寺はかっての安房国分寺跡に建っている。
金堂跡とみられる基壇や瓦類が出土している。
写真は金堂跡。
山門を入ると正面に江戸時代築の薬師堂が建っている。
さらに左には新しい釈迦堂。
薬師堂の右側に碑、五輪塔、印塔などが並んでいる。
写真は孝子家主之碑。
「続日本後紀巻五」によると、平安時代に安房国に伴直家主という大変な親孝行の人がいて両親の死後も像を建てて供養を欠かさなかったという。
これが朝廷まで伝わり、家主を孝子と呼び生涯の税を免除したという。
孝子とは孝行の子供という意味であった。
五輪塔は14世紀南北朝時代造。
高さは103cm、各輪の四面に梵字が刻まれている。
宝篋印塔は江戸時代の17世紀頃の造。
かなりあちこちが欠けている。
また入り口付近に三義民の供養塔が建つ。
立派な石碑が三本建ち並ぶ。
1703年の元禄地震での再建のため農民への過酷な年貢と労役の負担に耐えかねて1711年に直訴に及び、名主三人が処刑されたが農民の要求は通った。