閑話休題
5日、大腸内視鏡検査をしてきた。
大腸ガン手術をして丸6年になり、ほぼ一年ぶりの内視鏡検査である。
今回は糖尿病で二か月に一度通っている病院での検査とした。
10時に病院入りしてから終わったのが16時、一日がかりの検査となった。
取りあえず異常はないとのことであり、これで今回の諸検査は終了。
何と7種類の諸定期検査をこの一か月の間にしたことになる。
来年からは一年を通して少し分散させた方がより効果的だと思うのでそのようにしたい。
いずれにしても何の異常も無く、久しぶりに気分がスッキリした。
春も近し、今年はどこの町、どこの寺社を巡ろうかと計画を練っている。
 
さらに北側に東岸寺の境内がある。
山門は無く参道が続く。ダウン
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浄土宗の寺院、山号は光明山。1401年の創建。
写真は本堂。ダウン
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一茶が「藤勧進」で詠んだ句碑が立っている。ダウン
「藤棚や うしろ明りの 草の花」一茶
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境内隣に戸隠神社が祀られていた。ダウン
一茶も参拝したという。
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民家の間の道を西に西にと歩き木更津港にと出る。
木更津地域は古代には東海道の道筋であった。
伝説があり、日本武尊が東征の折に相模からこの地に船で渡る途中、暴風雨に遭ったため后の弟橘姫が海神の怒りを鎮めるために海に身を投げた。
無事にこの地に着いた日本武尊は姫の死を悼んでしばらくこの地に留まりこの地を去らなかった。
その時の倭建命の歌
「君去らず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」
から「君去らず」がなまって「木更津」という地名になったとも言われる。
また「袖しが浦」が袖ヶ浦の地名となっている。
中世には「「きさらす」「木佐良津」と書かれており、江戸期には幕府領の年貢輸送権、上総への旅客乗車権、江戸の河岸場占有権などが認められ大いに発展した。
漁船が並び、前方に中の島大橋が見える。ダウンダウン
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