義仲寺からすぐ近くに岩坐(いわい)神社の境内が広がっている。
鳥居の左に時計が埋め込まれた石碑が立っているのは天智天皇ゆかりの神社からであろう。ダウン
 
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創祀年代は不詳だが、近江の初代国造の治田連が先祖を神体山に祀ったのが始まりとも言われる。
669年に天智天皇の勅旨により御霊殿神社を祀る。
その後686年に八大龍王宮とも石坐神社とも称されるようになり、773年に石坐神社に正一位勲一等が授けられ、近江朝の三神霊(天智天皇、大友皇子、伊賀宅子媛命)を祀るようになったという。
そのため祭神は彦坐王命(海津見神)を祀る八大龍王宮と三神霊を祀る正霊天王宮を合祀している。
全国神社遥拝所までありびっくりする。
 
鳥居を入った境内の左側に神門、透塀に囲まれて本殿が建っている。ダウン
 
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三間社流造の本殿は1266年築と古い。ダウン
安置されている神像四体は重文。
 
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社殿の右には石神社(坐彦王命)が祀られ岩が置かれている。ダウン
 
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社殿の左には弁財天社と稲荷社が祀られている。ダウン
 
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思いがけなく古い神社に出会い、おごそかな気持ちになる。
続いて岩間寺に向かう途中、膳所城址に急遽立ち寄る。ダウン
膳所城は1601年に琵琶湖の交通要衝として徳川家康の命により藤堂高虎が担当して築城された。
琵琶湖の浮城であり、本丸は四重四階造で湖に映える姿は美しかったという。
城主は初代戸田氏でその後何人か変わり、本多氏が明治まで城主であった。
 
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現在は城址公園になっている本丸跡。ダウン
 
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写真は城址から二ノ丸跡や琵琶湖を望む。ダウン
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