神戸の義母宅に滞在中の二日目に、姫路からJR播但線に乗って寺前、福崎の寺社巡りに出かけてきた。
姫路駅に到着して播但線の発車時刻を見ると、先に福崎止りの電車があったので、とりあえず福崎から廻ることにする。
 
福崎駅前は結構な賑わいであり、まずはタクシーに乗って一番北西はずれの金剛城寺から応聖寺に回り、今度は一番東はずれにある神積寺でタクシーを降りて、街並みをみながら駅に戻ってくるというコースにした。
 
福崎駅から七種川に沿う406号線を走って金剛城寺(こんごうじょうじ)に到着。
元は4Km奥にある七種山麓に建てられたという。
633年に慈岡寺として創建され七堂伽藍が整った大寺であったという。
嵯峨天皇の御代に真言宗に改宗し、金剛城寺と称するようになった。
そのご何度も兵火に遭って衰微の一途を辿ったが1602年に中興開山し現在に至る。
写真は昭和7年築の山門。ダウン
仁王像は旧山門のもの。
 
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山門の彫刻。ダウン
宗派は高野山真言宗、山号は七種山。
 
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正面に建つ本堂は明治45年築。ダウン
9間四方という大きな建物で、十一面観音菩薩を安置。
ちょうど檀家の奥さん方が掃除を始められる時間であった。
 
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右に建つのは阿弥陀堂。ダウン
また鐘楼もある。
 
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十二支本尊石仏が円形に置かれていた。ダウン
 
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阿弥陀堂の裏側に石段があり、登ってゆくと立派な石垣が組まれており、さらに細い苔むした石段が続いており祠が祀られていた。ダウン
過日訪ねた岡崎の天恩寺の石垣も立派だったが、ここの石垣は丸石を重ねた石垣でこれまた別の趣がある。
 
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さらに石段を登ると懸け造りの護摩堂が建っている。ダウン
 
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その石段を降りたところに池が配され、弁天堂が祀られていた。ダウン
 
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すぐ隣に田賀神社の鳥居と参道がある。ダウン
金剛城寺の鎮守なのであろうか、詳細は全く不明。
 
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樹木の間の参道を登って行くと、急に広くなり以外と大きな拝殿が建っていた。右下矢印
 
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写真は精巧な彫り物に飾られた本殿。ダウン
何だか思いがけない拾いものをしたような、金剛城寺と田賀神社の佇まいであった。
 
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