タクシーは名張市街にと戻り、藤堂家住宅前にてタクシーを降りる。
名張藤堂家は、藤堂高虎の養子である高吉に始まる
高吉は丹羽長秀の三男として生まれ、秀吉の弟秀長の養子になり、その後高虎の養子なり高虎に従って数々の戦功を立て、伊予今治で二万石を領したが、二代目藤堂高次が伊勢に国替えとなって、高吉も家臣の身分で名張に移住したという複雑な生涯を送った。
現在の城下町としての体制を作ったのが高吉である。
写真は移築された正門の太鼓門である。ダウン
 
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高吉が建てた屋敷は1710年の名張大火によって焼失、その後に再建されたもの。
現在は当初の屋敷の一部分のみの再建であるが、それでもかなりの部屋数であった。
元はこの7倍以上の広さのようである。
屋根は八棟造で、写真は屋敷の正面部分。ダウン
 
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枯山水の庭園ダウンなどは1710年以降に再建された一部である。
上級武家屋敷の数少ない残された遺構である。
 
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写真は室内の違い棚。ダウン
 
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藤堂家住宅を出てから時間の許す限り、市街の散策を兼ねて寺社巡りをすることにした。
名張市の中心街にでるが、アーケード付の商店街はどこの地方都市と同じくシャッター通りと化していた。ダウン
 
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初瀬街道に今残る古い町並み。ダウン
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