ここまで来たのだからと最後に阿保宿跡を訪ねることにした。
 
菅笠日記抄の碑(本居宣長)を探すがなかなか判らず苦労するが、訪ね当てると川の傍にポツンと石碑が立っていた。
本居宣長は43歳の時、177235日から14日まで吉野、飛鳥への旅をしている。
松阪を出立して伊勢街道を歩いて阿保宿を通っており、阿保川を歩いて渡ったと記されている。
写真は石碑。ダウン
 
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石碑の傍にはその阿保川が流れる。ダウン
 
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続いて旅館たわらやを探すがすでにその面影はなくなっていた。
写真は阿保宿の街並み。ダウン
 
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常夜灯は1860年造という。
初瀬街道と八知街道の分岐点に建てられていたが、今はここに移転保存されている。ダウン
 
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安養寺は浄土宗の寺院、山号は往正山。
狭い境内ながら風情が漂う。
写真は山門。ダウン
 
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写真は本堂。ダウン
帰ってから調べると屋根の棟瓦に8mの龍が彫られているというが写真には写ってなく、旧本堂だったのであろうか。
 
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安楽寺は「花山観音」と呼ばれ、先ほど訪ねた常福寺の末寺。
1581年の兵火で本寺末寺ともに焼け、1662年に再建されたという。
写真は山門。ダウン
 
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真言宗豊山派の寺院、山号は瀧池山。
写真は本堂。ダウン
 
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写真は境内の石塔二基。ダウン
石造十三重塔は鎌倉末期(1321)造で、高さは302cm
一部欠落した部分は後補。
 
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最後に阿保親王の墓を探してタクシーは走り回るがどうしても見つからず諦めて、伊賀神戸駅にてタクシーを下車する。
伊賀神戸駅は近鉄本線と伊賀方面の乗換駅なので、賑やかな街並みを想像していたが、駅前にお店などは全くなく、単なる乗換駅であった。
近鉄電車に乗って名張にと向かう。
写真は駅ホームからの、のどかな風景。
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