閑話休題
昨日、寺社探訪会の春季修学旅行から帰ってきた。
二泊三日で大津市内と延暦寺の寺社をびっしり巡った。
 
結構な強行軍となりかなり疲れたが、予定していた寺院はほぼ回り終え充実した旅であったと自画自賛している。
なお過日訪ねた伊賀上野との関係が深い、西教寺(今日のブログに出てくる西蓮寺)、芭蕉の墓のある義仲寺もあり、なんだか気持ちがすっきりと納得した旅でもあった。
伊賀上野、名張、岡崎、播但線を巡った旅の後に、詳細は記したいと思っているがかなり先の話になりそうである。
 
 
続いて西蓮寺を訪ねた。
白壁をぐるりと廻らしておりまるで城郭のような造りで、大寺の風格十分。
真ん中に長い石段が伸びている。ダウン
 
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石段を登りきったところに大きな鐘楼門が建っている。
三間一戸入母屋造の四脚門で1739年築。ダウン
 
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天台真盛宗の寺院、山号は医王山。
創建は不詳だが延徳年間(148992)に天台宗真盛派の祖真盛が寺号を西蓮寺と改めた。
写真は本堂。ダウン
 
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本堂の右手に真盛廟が建つ。
真盛は大津市坂本の西教寺中心に布教に努め、天台宗真盛派を興した。
明応四年にここ西蓮寺にて示寂したので、五輪石塔を立てて祀っている。
周囲は塀で囲まれ、建物がびっしりと建てこんでいるので写真は正面から撮ったもの。ダウン
 
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なお後ほど本堂裏の墓地にいった時に真盛廟が上から見えた写真。ダウン
 
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伊賀上野の城代家老藤堂采女家の歴代墓が29基並んで立っていた。ダウン
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三代藤堂采女が1708年に寄進した水鉢。ダウン
 
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安井九兵衛が1686年に寄進の灯篭もある。ダウン
大阪道頓堀を手掛けた安井道頓の三代目の当主である。
藤堂家とは財政を援助した見返りに藩の塩を一手販売をするなど関係が深かった。
芭蕉と土芳の句碑も立つ。
 
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本堂裏に回ると広大な墓地が広がる。ダウン
まるで大規模な宅地造成をしているような眺め。
 
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境内からは遠くに伊賀市内の上野城などを眺められた。ダウン
これで伊賀市の郊外北部・東部の主な寺社は巡ったので、タクシーは伊賀市街にと入って行く。
 
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