417日から伊賀上野・名張の寺社を中心とした寺社巡りと街歩きに出かけてきた。
近鉄上野駅近くのホテルに二泊し、さらに名古屋で先輩と待ち合わせて飲んで一泊、20日夕刻に神戸の義母宅で女房殿と合流して25日に帰京という大変なスケジュールである。
 
名古屋からJR関西本線に乗り換えて、さらに亀山駅で一両編成の電車に乗り換えてローカル線関西本線の新堂駅に着いたのが12:48であった。
 
予め予約しておいたタクシーに乗って20分ばかり走った山間に佇む新大仏寺からスタートした。
新大仏寺は1202年に頼朝により創建、開山は東大寺再興大勧進職の重源上人である。
重源上人は全国に七か所の別所を開創されたその一つであり、そのため大門には「伊賀別所」の額が架かる。
上人が東大寺に敬意を払って寺号に新の一字を加えたという。
当時は南北60丁、東西40丁という広大な寺領と伽藍を有していた。
写真は大門(仁王門)ダウン
 
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境内は山麓にあり堂宇が二段に分かれて点在している。
大門を入るとすぐ右手に本坊が建っており、美しい草花に囲まれていた。左下矢印
 
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また左手には極彩色の明王殿。ダウン
成田不動尊を勧請して交通安全祈願所とのこと。
 
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樹木の間の坂道を上ると本堂、大仏殿、新大仏殿などが並んで建っている。
真言宗智山派の寺院で、山号は五宝山。
本堂1632年に上野城主藤堂高次が雨乞い祈願成就の御礼として寄進したもの。ダウン
重源上人を祀ったので上人堂ともいうが、現在は阿弥陀如来が本尊。
 
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大師堂(1738年築)は二間四方の建物で元は護摩堂として建てられたという。右下矢印
 
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写真は鐘楼。右下矢印
 
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芭蕉塚がありダウン
「丈六に陽炎高し石の上」芭蕉桃青
芭蕉の俳文「新大仏記」の全文を刻んだ文学碑である。
 
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新大仏殿、大仏殿と仏像については後編に。