再びケーブルカーに乗って麓に降りる。
駅前から男山山麓に少し入ったところに石清水八幡宮頓宮が建っている。
年に一度の岩清水祭において山上の本殿より神霊が御遷される時の御旅所に相当する建物。
しかしここだけでも立派に神社として通用する造りとなっている。
一の鳥居は高さ9mもあり花崗岩製で1636年に建てられた。ダウン
額は寛永の三筆と言われた松花堂昭乗が、既にあった藤原行成の額を書写したもの。
八の字は鳩が一対向かいあい、顔だけを外に向けたデザインとのこと。
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写真は放生池。ダウン
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頓宮の社殿は大正4年に再建されたもの。
南門は山上の南総門を昭和14年に移築したもの。ダウン
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写真は回廊。ダウン
バックは男山。
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周囲には岩清水八幡宮の末社などが点在している。
航海祈念塔と命名された五輪石塔は実に大きい。ダウン
高さは6mもあり下部の方形は一辺2,4m、恐らく日本一の大きな五輪石塔で重文指定。
建てられた年代は不詳だが、高倉天皇の御代に宋との交易をしていた尼崎の商人が、岩清水八幡宮のご利益で海難を逃れたお礼とて建立されたという伝祥がある。
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摂社である高良(こうら)神社は861年に建立された。
八幡町の産土神であり、現在の社殿は明治12年の再建。
徒然草第52段の逸話に出てくる。
末社である相槌(あいづち)神社は面白い社名であるが、鍛治屋の相槌の意で、師匠が槌を打つのに合わせて弟子が槌を打つことに由来する。
鳥居の額には、「三条小鍛治相槌神社」とある。ダウン
謡曲「小鍛治」には鍛治師宗近は一条天皇より剣を打つよう勅命を受けたが、しかるべき相槌を打つ弟子がいないので伏見稲荷に祈願をした。
家に帰ると稲荷大明神の使いである霊狐が現れて相槌を務めて宝剣「小狐丸」を仕上げたというストーリー。
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