上田市真田の郷は、真田氏発祥の地であり、真田三代の盛衰をあちこちに残している里である。
昔は電車が通っていたようであるが、今はバスか車しか交通手段がない。
真田の郷には正直いってそんなに大きなお寺もないが、日本人の好きな武将の一人である真田氏の面影を求めて訪ねることにした。
 
最初に訪ねたのは真田氏歴史館である。
ここで真田三代の盛衰の歩みを事前勉強する。
片田舎の土豪であった真田氏は、真田幸隆が信玄に仕えて数々の戦功で頭角を現したが、幸隆の後、その長男信綱、次男昌輝は長篠の戦いで戦死。
三男の昌幸が家督を継ぎ、上田城を築きその地位を不動のものとした。
関ヶ原の戦いで昌幸と次男の幸村は豊臣方に、長男の信之は徳川方に付いた。
この昌幸・幸村親子は38千の大軍を上田城で釘づけにした戦いは有名であるが、豊臣方が敗れたため、紀州の九度山に流され昌幸はその地で没した。
そのあとの幸村の活躍は御馴染である。
徳川方に付いた信之は松代藩主として、明治まで十代に亘って10万石として栄えた。
これらの活躍や歩みがこの歴史館で良く判った。
写真は歴史館。ダウン
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この辺り一帯は御屋敷公園である。
真田氏が上田城を築城する以前に居住していた館跡を公園として整備したもの。
現在は皇太神宮が建てられており、これは真田昌幸が上田城へ移転するとこの地が荒廃するのを憂えて保存されるように計ったとされる。
写真は境内。ダウン
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写真は質素な本殿。ダウン
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東西150m、南北130mの台形の敷地の周りには土塁を廻らし南側には大手門跡が残っている。ダウン
この館が造られた年代は定かではないが、永禄年間(155869)と言われている。
いまは地元老人のマレットゴルフ場として利用されており、またこの日は小学生が団体で遊びに来ていた。
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続いて真田氏本城跡にと登って行く。
真田山城、松尾城、住連寺城、城山とも呼ばれるこの城は、真田の郷のほぼ中心の小高い山の上にあり、地形を生かして遠くまで一望できる。ダウン
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写真は本城跡地。ダウン
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