上田市の隣町東御市に入り海野宿を散策することにした。
北国街道の宿場町であり、佐渡からの金の輸送、善光寺詣り、参勤交代などで賑わったという。
江戸時代の家並みをかなり残しており、国の重要伝統的建造物群保護地区となっている。ダウン
「うだつ」「海野格子」など伝統的なものも残されており風情ある町並みが続く。
豪族海野氏の城下町でもあり、真田氏は海野氏から出ている。
平安・鎌倉時代から信濃第一の豪族であった海野氏は鎌倉幕府の御家人として栄えたが、1541年の海野平の合戦で甲斐の武田信虎に敗れて滅亡した。
イメージ 1
 
道路の真ん中から少し外れて小川が流れていることが特徴であり、独特の景観を造っている。ダウン
江戸時代には95棟の家が並んでいたが、現在はそのうち55戸が原形のまま残っている。
現在の海野宿は日本の道100選に選ばれている。
イメージ 2
 
海野宿にある資料館に立ち寄る。
1790年築の旅籠屋造りであるが、明治以降は養蚕業を営んでいた。
写真の街道筋の右手前の建物が資料館。ダウン
イメージ 3
 
裏庭にその名残である小屋根が置かれていた。ダウン
元は旅籠屋の大屋根の上に乗っかっていたものを移した。
蚕を飼育するためには保温を必要とし、火を焚いて室内を温め煙出し用の気抜き窓を大屋根の上に設けられたのが小屋根()であり、下から紐を引っ張れば開閉できる仕組み。
イメージ 4
 
館内にはいろんな資料が展示されていたが、私の一番興味を惹いたのは雷電の直筆奉納書状である。ダウン
このあと訪ねた白鳥神社に四本柱と土俵を奉納した1808年に書かれた書状。
イメージ 5
 
近くに(なかだち)地蔵という珍しい名前の地蔵が祀られていた。ダウン
良縁に恵まれなかった加賀の国のお姫様が参勤交代の時にこの地蔵にお参りしたところ立派な男性と結婚することができたという由来があり結構賑わっていた。
イメージ 6
 
 
海野宿の一番東はずれに白鳥神社がある。
日本武尊が東征の折にこの地に滞在したことから始まった。
また木曽義仲が1181年に、海野氏の根拠地である海野郷白鳥河原で挙兵した地でもある。
拝殿(明治14年築)前にはケヤキの大木。ダウン
樹齢700年、樹高30m、幹廻り5,8mあるという。
イメージ 7
 
本殿は1791年築の流造。ダウン
海野氏の氏神でもあった。
イメージ 8
 
神社の前の道路は千曲川となっている。ダウン
昨夜から今朝にかけての台風の影響でかなり増水していた。
イメージ 9
 
ここから「しなの鉄道田中駅」まで歩いて行く。
途中、下校途中の小学生達と道連れになり、いろいろ話しながら歩く。
田舎の子供達は挨拶もきちんとしており、人懐っこいところが好きである。
田中駅は東御市(とうみし)の市役所のある駅であると判りびっくり。
駅前は寂しく商店などはほとんど見当たらなかった。
写真は駅舎。ダウン
イメージ 10