興津のシンボル的存在である清見寺を訪ねるのは二回目である。
山号は巨鼇(こごう)山、臨済宗妙心寺派の寺院。
開山は白雉年間(650~654年)とも、また東北の蝦夷に備えてこの地に関所が設けられ清見関と呼ばれていた時代に、その傍に仏堂が建立され関所の鎮護とされたのが始まりとも伝わる。
清見関は清少納言の「枕草子」にも紹介されている。
鎌倉時代1264年に中興開山された。
その後足利尊氏、今川氏の崇敬を受け、雪舟、夏目漱石、島崎藤村も逗留したという。
江戸時代には200石の朱印を受けており、朝鮮通信使の宿舎にもなった。
 
山門は1651年築、釘を一本も使っていない。ダウン
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仏殿は1842年の改築で重層入母屋造りの美しい建物。ダウン
間口七間、奥行き十間。
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大方丈は1825年改築で間口十一間半、奥行九間半という堂々たる建物。
大方丈前の臥竜梅は、家康が自ら接樹したものと伝わる(写真左)。左下矢印
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法丈玄関は1616年築で唐破風造り。ダウン
がっちりとした鐘楼は1863年改築、架かる梵鐘は1314年鋳造。
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方丈裏にある西の間の奥に、家康手習の間が保存されている。ダウン
家康が今川家の人質時代に、当寺の住職大原雪斎に師事し勉学に励んだところ。
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方丈裏の庭園は江戸時代の初期、山本道斎によって築庭された築山池泉回遊式鑑賞庭園で国名勝指定。ダウン
家康もこの庭を愛し、駿府城から虎石、亀石、牛石を移して配したとされる。
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写真は中庭。
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法堂の左手奥には五百羅漢像が立ち並ぶ。ダウン
1788年に造られたもの。
藤村の小説「桜の実の熟する時」にも登場するという。
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清見寺は名刹として名が通っているが、境内の雰囲気に今ひとつ物足りなさを感じたのは私だけであろうか。
線路によって総門部分と分断されていることにもよるのであろうが。
写真は総門。ダウン
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すぐ西隣に瑞雲院がある。
白壁を廻らし木造山門、最初は単なる塔頭かなと思った。
臨済宗妙心寺派の寺院、山号は厳腰山。
南北朝時代初期の創建。
雪舟がしばらく住んでいたことがあるという。
正面に本堂、観音堂が建っている。ダウン
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