さらに七面山山麓に沿って茨原(いばら)神社と不動院がある。
ただ茨原神社の鳥居前で大工事をしており、その監督している人から神社の石段は登るのは到底無理だとダメを押されて登るのを断念する。左下矢印
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それではせめて興津山不動院だけでもと思い許可を得て、迂回して山道を登り始めるが、これがまた結構な階段が続く。
途中に津島神社のお堂ダウン、不動の瀧がある。
写真の社のすぐ右側の細い山道を登る。
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不動院は791年に坂上田村麻呂が蝦夷征伐の戦勝祈願をして守り本尊の不動明王をこの地に奉納したという古社。
また地元の漁師が大風に遭遇したとき、このお堂から一条の光が発したので無事帰還できたことより「波切不動尊」とも呼ばれる。
中腹に質素かつ民家のような堂が建つのみ。
写真は堂から海を眺めたもの。ダウン
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このあと清見寺を訪ねたが、それは明日にして、その後訪ねた座漁荘、水口ギャラリーを先に記すこととしたい。
 
一号線である東海道の興津宿の西端辺りに坐漁荘が建っている。
明治の元老である西園寺公望が大正8年に建てた別荘を平成16年に復元再建したもの。ダウン
本物の建物は解体後、明治村に移転復元されている。
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それにしても細々とした部屋が沢山あるのにびっくり。
当時ただ一人の元老であったため、「興津詣で」と称され政府要人の訪れが後を絶たなかったとのこと。
立命館大学の学祖でもあることを始めて知った。
 
さらに西にある清見神社を目指して歩く。
やはり線路を横切った山に石段が伸びている。ダウン
祭神は木之花佐久夜比売命、品陀和気命、大山祇神、菅原道真。
1806年と新しい創建であり、また長い石段が続くので入り口で参拝のみにする。
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座漁荘から一号線を興津駅に向かって戻って行く途中にある水口屋ギャラリーに立ち寄る。
水口屋は興津宿の宿屋として約400年続き、現在は博物館として古い興津宿の資料を多く展示している。ダウン
ここも現在は地元の企業である鈴与が所有しており、その研修センターともなっている。
清水の町はどこを歩いても鈴与の息のかからない企業はほとんどなく、まさに企業城下町となっている。
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