映画寸評  「別離」(2011年 イラン 監督アスガー・ファルハディ)
 
最近、観たい映画が多く「マーガレット・サッチャー・鉄の女の涙」「スーパー・チューズデー」「アーティスト」「ドライヴ」に続いて、「別離」を見た。
 
今、世界の注目を集めているイランを舞台に二家族の庶民生活を描くが、政治的なものは一切排除されている。
しかし世界どこの庶民とも同じく家族崩壊、格差社会、老人介護など同じ悩みを持ち共感させられる。
周囲の生活の中から画面を切り取ったようなカメラワークと、自然そのままの演技で、いつの間にか自分と等身大の問題として入ってゆけるという見事な演出に感服する。
 
しかし結局、二家族の対立も家族内の離婚や娘の親権者も未完のまま、観客の判断に委ねられてエンド。
観た後に余韻がいつまでも残るが、この解決策を見つけるのは容易ではない。
未見の方は是非観られることをお勧めしたい。
 
今後、感銘を受けた映画について、私なりの寸評を一言書き記すこととしたい。
ただ、まだ見ていない方もおられると思うので、ストーリーについてはなるべく避けたいとは思いますが。
 
映画寸評「わが母の記」(2012年 監督原田真人)
 
予告編を見ると、痴呆症の母に悩む息子の映画という印象だったので、女房殿は同じ痴呆症の介護をした私の母を思い出すので今回は見たくないとのことであった。
しかし実際の映画は、主人公である作家井上靖が少年時代に母に捨てられたという心の葛藤、また彼の家族愛を中心とした実話である。
1960年代というとまだ貧しかった時代であり、当時としては数少ない上流社会の人々の物語であるし、老人介護といってもかなり余裕が感じられたのは私だけであろうか。
むしろ日頃触れることのない大作家の日常生活や、人間形成、家族関係などが覗えて興味深かった。
とはいえ、母の痴呆と介護という重いテーマをお涙頂戴にさせなかったのは、樹木希林の人柄の出た演技力と監督の演出の巧みさであろう。