日曜寺の近くにある智清寺をたずねたが、この日は門扉が閉められており、中に入れなかった。
その後、境内の様子を是非とも見たくなり、改めて5月4日小雨の降りしきる中を訪ねたが、境内には自由に入れた。
 
182 智清寺
宗派   浄土宗
山号   龍光山 恵照院
創建   応永年間(1394年頃)
本尊   阿弥陀如来
住所   板橋区大和町37-1
 
石柱門からの参道は短いが手入れ良い植木が見え、その先に山門がある。左下矢印
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山門を入ると古い石橋があるが、1714年造で中用水に架けられていたもの。右下矢印
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新しい木造本堂ダウン、庫裏は新しい鉄筋2F建、他に地蔵、石仏などが並ぶ
江戸期には5石の朱印寺であった。
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古い木造阿弥陀堂。
本堂の左手に木下藤吉郎出世稲荷社ダウンが祀られていた。
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車の往来の激しい中山道を横切って旧中山道の通りに出る。
南に向かって古い町並みの商店街が続いている。
石神井川に架かる橋は、地名ともなっている板橋である。
江戸期には太鼓橋であり、長さは16,2mあったという。
現在の橋は昭和47年に立て架けられたもの。ダウン
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板橋宿は中山道の第一番目の宿場であり、長さは1,7kmにおよび、1843年には人口2448人、旅籠、料理屋、駕籠屋など家数は572軒を数えたと言う。
板橋宿中宿本陣の飯田家跡を捜すがなかなか判り難い。
旧中山道通りから入ったところに大きなマンションが建っており、説明板と木が一本立っているのみである。ダウン
この本陣は皇女和宮の下向の際、また明治天皇行幸の際に本陣になったという。
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また再度訪ねた時に発見したのだが旧中山道筋に「縁切り榎」が祀られている。右下矢印
いつの頃からか縁切り榎と呼ばれ、嫁入りの際はその下を通らないとされていた。
皇女和宮の下向の折はわざわざ1kmの迂回路が造られたと言う。
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183 文殊院
宗派   真言宗豊山派
山号   幡場山 大聖寺
創建   江戸初期に板橋本陣の飯田家の菩提寺として
     開山は慶恵和尚(1625年寂)
本尊   文殊菩薩
住所   板橋区仲宿28-5
 
板橋宿のほぼ中心に位置していたが、今は狭い境内ながら門前に由緒ある寺院らしい雰囲気は残る。
古い木造山門の左には発祥の延命地蔵尊(江戸前期)。ダウン
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木造本堂ダウンには文殊菩薩像(1661~73年作)
閻魔堂、子の権現堂(足腰の守り神)も建つ。
墓地には遊女の墓もある。
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これで予定していた寺社は巡り終えたので、旧板橋宿の名残りを捜して商店街を散策しながら居酒屋を物色するが、思ったよりも飲食店は少ない。
 
ようやく地下鉄板橋区役所駅近くの居酒屋「仲宿酒蔵」を見つけて反省会。
気風の良いママさんと、値段の安さに感激する。
次回は5月12日とし、また27日より二泊三日の松山・宇和島・今治への修学旅行をすることに決定して散会。