今度は自動車道である急坂道を下って行き、再び松林が続く須磨浦公園に戻る。
この公園には、個人的に深い思い出がある。
女房殿とこの近くで見合いをし、須磨浦公園を二人で散策したことを昨日のように思い出し、しばし来し方の思い出に浸る。ダウン
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須磨浦公園駅を過ぎたところにある敦盛塚を目指す。
この駅からはロープウェイも出ている。
先ほど訪ねた須磨寺の敦盛塚は首塚であり、ここの敦盛塚は胴塚とされる。
敦盛は清盛の弟経盛の末子であり、16歳で笛の名手であった。
一ノ谷の戦いで熊谷次郎直実によって哀れにも討たれた話は有名である。
花崗岩で高さは4mある。ダウン
北条貞時が1286年に平家一門の供養に「あつめ塚」を建てたものが「あつもり塚」なったという説もある。
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さらに坂道を登って行き芭蕉の句碑を捜す。
昭和11年に建てられた句碑。ダウン
「蝸牛(かたつむり) 角ふりわけよ 須磨明石」
この地は昔、摂津と播磨の国境で境川によって分けられていたことを詠んだ。
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このあたりからは須磨の浦海岸が一望できる。
見えるのは「海つり公園」か。ダウン
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さらに与謝蕪村の句碑も立っていた。ダウン
「春の海 終日(ひねもす)のたりのたりかな」
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この日の須磨地区の平家ゆかりの地巡りはこれまでとする。