さらに須磨海岸沿いの道をひたすら西に向かって歩き須磨公園に入る。
一ノ谷戦いの碑」が立っている。ダウン
白砂青松が続く風光明媚なここが、源平の戦いの壮絶な舞台になったとは。
今はその名残りは何もない。
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有名な「一ノ谷の逆落とし」はどの場所になるのであろう。
極めて急峻な崖が続いており、とても馬に乗って降りたとは信じられない。
過日、NHKの義経伝説で取り上げていたが、馬での逆落としは可能だが、義経がやったかどうかは疑問が残るとのことであった。
 
須磨公園の北はJR線が走り、さらに一ノ谷の険しい山が迫っている。
この山の頂上に向かってジグザクの急階段がついている。
途中まで登っていると、地元の老夫婦がのろのろと登られていた。
声を掛けてお先にと登ってゆく。
写真は高台から須磨浦海岸を望む。ダウン
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上り詰めると公園になっており、宗清稲荷と目指す安徳宮が祀られている。
81代安徳天皇は壇の浦の戦いで、祖母二位の尼(清盛の妻建礼門院)に抱かれてわずか8歳で海に身を投じた。
全国で安徳天皇の墳墓と称するのは二十数基あるという。
下関市長府の山中にもあったし、たしか山口県の萩に向かう途中でも見たことがある。
また宮の前には、京都の芸妓からアメリカ大財閥モルガン家に嫁入りしたモルガンお雪の名が刻まれた石灯篭二基が立っている。ダウン
明治44年の献納という。
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ここは一ノ谷に陣を敷いた時の、安徳天皇内裏伝説地でもある。ダウン
実際は船の上におられたようであるが。
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宗清稲荷は安徳天皇の守護神とされる真理胡弁財天が祭神。
近代的な西洋風な碑が立っていた。ダウン
またどういう訳か、この地とは縁の無い幕末の悲劇の皇女和宮像もあった。
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