神戸電鉄線に沿ってできた新しい大通りの傍に、元宮長田神社と「菅の井戸」がある。
やはり菅原道真が太宰府左遷の途中須磨に上陸した時、地元の前田家の者が井戸の水を汲んで差し上げたら大層喜ばれて自画像を賜ったという。
この井戸の水で銘酒「菅の井」を造り、太宰府に毎年献上していた。
この神社は旧家前田家の旧邸宅内に祀られていたもの。
写真の右には菅公お手植えの松も再現されている。ダウン
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その井戸は池の奥に蓋をしてある。ダウン
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次に松風村雨堂を訪ねた。ダウン
平安時代ここに、在原業平の兄行平が流されて3年住んでいた。
そして「もしお」「こふじ」という姉妹と親しくなり、「松風」「村雨」と呼んでいた。
その後行平は罪を許されて都に帰ることになり、松を植えて烏帽子、狩衣を掛けて詠んだ歌は小倉百人一首で知られる。
「立ちわかれ いなばの山の峯におふる 松としきかば今かへりこむ」
その後、姉妹はここに庵を立てて住み観世音菩薩を祀って生涯を終えたという。
そのためこの近くには行平町、松風町、村雨堂、衣掛町などの名前が残っている。
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このことは謡曲「松風」の名曲として残る。
また境内の片隅に磯馴松の跡がある。
姉妹との別れに臨んで行平が手ずから植えた松という。ダウン
今は古株のみ残る。
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