神戸に滞在二日目の14日、一ノ谷合戦で有名な須磨地区の平家ゆかりの寺社・史跡を訪ねてきた。
山陽電鉄須磨寺駅に下車。
駅舎に隣接して「平重衛とらわれの遺跡」がある。
清盛の五男重衛が一ノ谷合戦で源氏方の捕虜となり、松の根に腰を下ろして無念の重衛に、土地の人が濁り酒を勧めると一句、
「ささほろや 波ここもとを打ちすぎて 須磨で飲むこそ濁酒なれ」と詠んだという。
この辺りの道は狭く住宅の間を縫うように続く。
その山陽電鉄に沿って頼政薬師堂があった。
これは通称で、正式には上野山浄福寺、真言宗須磨寺派の寺院。
聖徳太子作と伝わる薬師如来像を本尊として創建されたが、一時荒廃していた。
後に1154年~55年、源三位頼政によって再興されたので、こう呼ばれるようになったという。
境内には地蔵堂、供養塔などもある。
写真は薬師堂(本堂)。
さらに駅そばの踏切を渡って南に歩いて行くと、諏訪神社と綱敷天満宮の境内が向かい合わせてある。
諏訪神社は東向きに建てられているので「東向明神」とも呼ばれている。
創建は不詳、祭神は建御名方神。
小さな社だが、境内は意外と広いのにびっくり。
「諏訪」が訛って「須磨」の地名になったという説もある。
綱敷天満宮は菅原道長が太宰府に向かう途中この地に一時上陸した時、地元の漁師が漁網を敷いて迎えたことからその名が付いた。
博多の神社でも全く同じ言い伝えがあったのを思い出した。
境内は広く二段になっている。
ナスビの腰掛、波のり祈願などがあり、いかにも宮司のユニークな発想が覗える。
創建は979年。
また境内には鮮やかな朱色の、ミニ三重塔が建っていた。