ようやく兵庫港の海岸近くに出る。
「古代大輪田泊の石椋(いしくら)」が置かれていた。
花崗岩であり、奈良時代後半から平安前半に造られた古代の港湾施設の一部とされる。
この大輪田泊は今の神戸港の礎である。
港近くにある来迎寺は築島寺とも言われる。
清盛が福原に都を遷した際、承安年間(1171~75年)に大輪田泊の南東からの風除けのため海を埋め立てて経ヶ島を築造することにしたが、暴風雨によって工事が進まなかった。
陰陽博士の占いにより30人の人柱を立てるとのお告げであったが、小姓である17歳の松王丸がこれらの人柱に代わって一人で身を捧げて無事に経ヶ島は築かれた。
その松王丸の菩提を弔うために清盛が寺を建てたのがはじまりとか。
浄土宗西山派の寺院、山号は経島山。
二条天皇勅願所とある。
また清盛が愛した白拍子祇王と祇女を弔う五重石塔がある。
境内には珪化石が置かれている。
この化石は紀元前千万年に地殻の変動によって土中に埋もれた樹木が、長い間に表面が炭化し内部が珪酸と交代して化石になったという珍しいもの。
柳原寺は真宗大谷派の寺院。
やはり大地震のためか民家のみが建っていた。
広々とした新川運河に出た。
兵庫運河の一つとして明治8年に完成。
現在は遊歩道として整備され、「キヤナルプロムナード」と呼ばれており運河祭も行われる。
運河の近くに慶照院がある。
真言宗善通寺派の寺院。
低予算での葬儀というホームページの宣伝がうまい。