福満寺の境内の裏側に廻ったところに真浄寺がある。
宗派は臨済宗南禅寺派の寺院。
茅葺山門があるが、どこからも境内には入れない。ダウン
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その真ん前にある遍照光院は臨済宗東寺派の別格本山。
鉄筋の本堂と鐘楼。
                
さらにJRのガード下をくぐって南に歩くと左手に参道の小路がある。
満福寺は時宗の寺院、山号は梅松山。
後ほどでてくる真光寺の隠居寺として1308年の創建。
鉄筋2Fの二階部分に木造本堂が建つのみ。ダウン
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その隣にある柳原天神社は道真が太宰府に流される途中、兵庫湊に上陸して
「風さむみ 雪にまかへて咲く花の 袖にぞ移れ 匂う梅が香」と詠んだ。 905年に里人が小祠を建立し、1167年に太宰府から分霊したもの。
満福寺内に祀られていたが、明治になってから分離した。ダウン
祭神は菅原道真。
古来、平家一門や時宗門徒の信仰が厚く、特に平忠度は「天神画像」を奉納。
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続いて訪ねた能福寺は清盛ゆかりの寺として名高い。
天台宗の寺院、山号は宝積山。
805年に最澄が「能福護国密寺」として創建、日本最初の密教教化霊場でもある。
清盛が出家した寺として知られ、平家一門の祈願寺でもあった。
1181年に亡くなった清盛の亡骸はこの地にあった太平山八棟寺の平相国廟に納められたが、平家滅亡と共にことごとく破壊されてしまった。
また遺言により当住職が遺骸を持ってきて法華堂に納めたとい説もある。
 
現在の供養十三石塔は、1286年当時の執権北条貞時が石塔を建てて霊を弔ったもの。
右の円宝法眼宝筐印塔は鎌倉時代、その右は忠快法印塔である九重塔も鎌倉時代のもの。ダウン
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瀟洒な造りの本堂は、京都東山にあった九条家の月輪御陵の拝殿を1953年に移築したもの。ダウン
月輪影殿と言われ、阪神大震災で大破したがこの度修復なった。
また青蓮院門跡の院家を務めてきた格式を持つ。
本尊の木造十一面観音像は重文。
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写真は境内の様子ダウン
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神戸事件(1868年)で引責切腹した滝善三郎の供養碑や、当勝稲荷社などもある。
 
境内でひときわ目立つ兵庫大仏は高さ11mで明治24年に造営されたが、今の大仏は平成3年再建された二代目である。ダウン
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