かなり古い話になるが、昨年11月12日から義母宅に逗留していたが、その間の三日間に亘って神戸市内の「平家ゆかりの地」を訪ね歩いてきた。
7年位前に一度歩いたところも多いが、NHK大河ドラマ「平清盛」放映に当って再度訪ねてみることにした次第である。
しかし「平清盛」の第一回を観たが、イマイチ気持ちが乗ってゆかなかった。
清盛が当初から白河法皇のご落胤であると断定していたが、松山ケンイチの荒っぽい姿にどう合わせてゆくのか、そもそも平氏の血の入らない清盛が血統を重んじる武士平家の棟梁にどうして成っていったのか。
果たして今後どう展開させて行くのであろう。
 
なお「平家ゆかりの地」を訪ねながら、その近くにある寺社もついでに訪ねている。
 
初日の12日、JR兵庫駅からスタート。
駅前から大通を東に向かって歩いて行くと、大きな交差点のところに「西国街道兵庫惣門跡」の碑が立っている。ダウン
1580年頃、兵庫の町に入る西の柳原口の惣門があったところである。
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その交差点に蛭子神社の境内がある。
「柳原のえべっさん」と呼ばれ十日戎で有名。
祭神は蛭子大神、大物主大神。
創建は不詳だが、元禄期よりも古い。
境内は工事中。ダウン
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石鳥居は阪神大震災で倒れたので再建された。
その鳥居の近くに石造恵比須像があった。ダウン
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その向かい側に福海寺の境内がある。
太い石柱門が特徴。ダウン
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臨済宗の寺院で、足利尊氏が開山との石碑が立つ。
京都合戦に敗れた尊氏が西国に逃れる途中、新田義貞の兵に追われ、福海寺の前身である針が崎観音堂に隠れて難を逃れた。
その後幕府を開いた足利尊氏がその報恩もあって福海寺を開いたという。
山号は大光山、臨済宗南禅寺派の「諸山」の格式を持つ。
明治の初めまで堀は堤に囲まれて柳原惣門の防御の役割もしていた。
本堂ダウンには尊氏書の「福海興国禅師」の扁額が架かる。
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写真は境内にある「清盛公遺愛の時雨の松」碑。ダウン
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境内の稲荷社と地蔵堂。ダウン
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