しかしこの直江津駅で大失敗をしてしまった。
高田に向けての直江津発15:57分の列車に乗ったつもりが、信越本線ではなく「ほくほく線」に乗ってしまった。
次の黒井駅で慌てて降りたが、次発の戻る列車まで二時間半もある。
駅前にはタクシーは勿論のこと商店も人影も全くない。
その上、駅舎は工事中で駅員もいないし、付近の地図板もない。
途方にくれるが、線路に沿って歩いてみようと10分ばかり歩いていると信越化学の工場があつた。
ちょうど工場に客を降ろしたタクシーが通りかかった。
まさに地獄に仏とはこのこと。
3000円は予定外の支出だが、「時は金なり」である。
ことのついでに高田城址まで行くことにした。
ようやくタクシーは高田城址公園に到着。
 
高田城は1614年に家康の六男松平忠輝の居城として近隣大名の普請で築城された。
わずか四カ月の工事だったので、石垣がなくすべて堀と土塁によって城郭が造られた。
極楽橋を渡るとダウン、中学校の校舎が建っていた。
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また築城時から天守閣はなく、平成五年に復元された三重櫓がシンボルとなっている。
堀に浮かぶ三重櫓は美しいダウン
桜の季節は観光客で賑わう場所でもある。
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公園内を歩いて小林古径宅を訪ねるが、この日は休館であった。
外堀には一面にハスが植えられており、見事な風景ダウン
この花が一斉に咲く季節はさぞ美しいことであろう。
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橋を渡り榊神社に。ダウン
広い境内には鬱蒼とした大木が茂る。
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徳川四天王と言われた高田藩祖榊原康政を祀る。
写真は社殿。ダウン
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高田の古い町並みを散策しながら北国街道まで歩く。
この辺りの町屋も雁木が続いている。
目当ては十返舎一九が滞在したという飴屋の高橋家であるダウン
創業は寛永年間と言われ現在も飴を販売しており、折角ここまで来たのだからとお土産に求める。
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すぐ近くの法林山正輪寺芭蕉句碑を見るために立ち寄る。
しかしどれが句碑か判然としないが、恐らくこれであろう。ダウン
「景清も 花見の座には 七兵衛」 芭蕉
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お知らせ
経から三日間、千葉時代の異業種の友人達と旅をしてきます。
当初は中国を予定し、東北に変更した後、結局は三浦半島、鎌倉となる。
この間、ブログはお休みします。