八坂神社から出て、一つ裏通りを歩いていると大きく古い山門(仁王門)が建っているのにびっくり。
草鞋がぶら下がり、仁王像が安置されているダウン
手元の地図には出ていないが泉蔵院である。
広々とした境内は殺風景で荒れ寺風である。
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本堂などにかっての栄華を偲ばせて風情がある。
また仁王門から参道の左手に長い瓦屋根の小屋。ダウン
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中を覗くと石仏がびっしり並んでいるのにびっくり。
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さらに境内入り口には閻魔様を中心に、奇妙な大型の仏像が入った地蔵堂があるダウン
何だか少し薄気味悪い。
すべてが自然にまかせてほったらかしの状態だが、一つ一つの堂宇や石仏に歴史を感じさせる。
説明板などは何もなく詳しい由緒は不明だが、何故か気になる寺院である。
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直江津の寺社巡りの最後は式内社であり、越後の総社である府中八幡神社に。
720年に宇佐八幡宮、870年に石清水八幡宮を勧請したという。
越後総社であり、代々の守護が崇敬し保護をし、謙信も詣でたと伝わる。
 
現在の社殿は1634年の再建。ダウン
祭神は応神天皇、配神として沼河比賣、建御名方神。
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社殿は赤い屋根、幣殿で拝殿と本殿が繋がる。
境内の左に池、右には会館がある。
写真は社殿を横から写したものダウン
境内社として神明社、諏訪神社。
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歴史を感じる商店街を駅に向かって東に歩いてゆく。
この通りは駅前通りにぶつかって右折すると駅に出る。
写真は直江津の商店街のスナップダウン
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ようやく直江津駅に戻る。
直江津駅舎ダウンは港町直江津を強調し、豪華客船飛鳥をイメージし、傍の電柱もマストの形。
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直江津は奈良時代から「水門(みなと)」と呼ばれ、国府・国分寺の地、中世には越後府中の地として栄え、謙信が治めた時代は越後府中文化の華が咲き、京都に次ぐ人口を持った都市であったとも言われる。
その後高田に城下町が移り、経済の中心ではなくなったが、北前船の寄港地として海運で栄えてきた。
高田の街の繁栄ぶりとは違い、街全体にしっとりとした落ち着きが感じられる。
 
この日は春日山城跡の山登りに始まって随分歩いたこともあり、直江津駅前にあるホテルの喫茶室でケーキ(私が食べるのは珍しい)とコーヒーで一休み。
 
電車で再び高田にと向かう。